林田のコラム

 
空白 林田プロジェクト代表・林田素美の『日々…あれこれ』のコーナーです。

中小企業の経営者、クリエィター、セミナー企画・講師、相談室の先生
患者経験者(クモ膜下出血脳動脈瘤破裂)、特定保健指導、メタボなど健康分野の企画・制作、医学部非常勤講師etc.
2人の子供の親(28歳の娘、21歳の息子の母親)、妻、主婦さまざまな視点から、自由に発信しています。
ご意見などございましたらm-hayashida@hayashida-p.com まで、お気軽にお寄せください。
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2012年1月17日】
阪神・淡路大震災から17年。今尚ご苦労をされている方たちのことを思うと、小さなことであがいている自分の弱さ、甘さが恥ずかしくなります。あの大惨事の時、さまざまなことを見直していれば、福島の原発の問題も想定できたのでは…。巷ではそんな話も出ていますが、これから先も何が起こるかわかりません。私たちは今ある幸せを感謝しつつ、少しでも社会に役立つ働きをしなくてはいけないと強く思いました。
 
昨日、ある光景を見て衝撃を受けました。
朝10時過ぎ。私は会社のすぐ近くで、横断歩道をゆっくり歩く男子中学生の姿に目を留めました。足が悪いわけではなさそうですが、なんとなく全体の体の動きがぎこちないのです。渡り終わった彼は中学校のある方向に歩き出した…その瞬間、まるでストップサインを出されたかのように、右足を踏み出しかかったまま固まってしまったのです。
思わず近寄った私の耳に聞こえたのは「ちくしょう、ちくしょう、なんでなんだ」という搾り出すような声でした。そして、「せ~の、せ~のぉ!」と自分の足に向かって掛け声をかけているのです。

私は彼に気づかれないようそっとその場を離れました。私にできることは何もないと思ったからです。中途半端なことをしても彼のプライドを傷つけるだけです。
彼に何があったのでしょうか? 体だけでなく彼の心にも、ストップがかかっているのでしょうか。私にわかったことは、それでも彼が必死になって学校に向かっているということでした。
この光景に遭遇したことは、私にとって何かの始まりであると思っています。
 
2011年11月25日】
11月12日、13日の2日間にわたり開催された【第20回全国ボランティアフェスティバルTOKYO】分科会の報告です。 
11月13日(日)9時30分~12時30分、青山学院大学で行なわれた分科会「患者が先生」みんなで作るこれからの医療とは?~市民参加で生まれる新たな視点~は、私たち群馬大学医学部患者講師の仲間が酒巻教授と手がけた市民参加型のセミナーです。おかげさまでたくさんの方にご参加頂き、有意義なひとときを過ごしました。
患者講師の一人だった故・野村美恵子さんの妹・須藤美智子さんの働きかけで実現したこのセミナーを、野村さんも天国から温かく見守ってくださっていたと思います。
当日は、毎年行なっている医学部5年生への授業『患者の声を聞く』の意義を、授業ビデオや各講師の講話、酒巻教授の解説などで、市民の皆様(主にボランティア体験者)に伝え、それをもとに、各グループでディスカッションし、最後に発表をしました。患者と医療者が手を取り合って、コミュニケーションすることの重要性…相互扶助の前向きな話が展開し、充実した内容になったと思います。
 
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ところで、私は皆さんの熱気に当てられたのか、はたまた知恵熱か…分科会が終わった途端ダウンしてしまい、3日間も会社を休んでしまいました。
日曜日の夜、なんだか調子が悪いなあと思いつつ、お風呂上りに桐野夏生の「残虐記」を夢中になって読んだのがダメ押しとなったようで、夜中、桐野夏生にうなされる(?)は、熱は38度5分出るはで久しぶりに寝付かれない夜でした。朝になってもだるくて起き上がれず…(でもきっと、大切な用事があれば飛び起きていたはず!)だらだらと家で仕事をしていました。原因は単なる風邪でした。熱が出たのは一日だけでしたが、乾いた咳が止まらなくて、肺が少し痛かったです。今日も、ある会合の企業発表を聞きに行く予定でしたが、もし咳き込んだら迷惑だと思い、欠席しました!(残念) 
でも、今書きながら気がつきましたが、この3時間は咳が出ていません! やったぁ~!治ったみたいです。昔と違って、治るのにも時間がかかる…年を取ったということですね。皆様もお気をつけて!
 
2011年9月20日】
震災以降、心の健康の一歩手前、プレウツの人が増えてきました。心の健康の前に、気持ちの健康を考えなくてはいけない時代なのですね。セミナーの教材も、「気持ちの健康」チェックを増やしました。実は私も、震災後しばらくの間は、プレウツ状態でした。それまでは自慢だった41階の我が家からの景色…目の前に広がる高層ビル群、東京スカイツリーを眺めると、あの瓦礫の山が重なってしまうのでした。まさに、震災疑似体験。テレビで何度も瓦礫の街並を見ることで、知らないうちに疑似体験をしていたのです。
 
9月、10月の主なセミナー、講演です。
 ◆9月3日 (実施済み) 
演題:「くも膜下出血とウツ~体験者が伝える大事なこと~」
対象:足立区中小企業経営者
場所:東京マリアージュ 
主催:足立区倫理法人会
 ◆9月20日、10月4日、10月25日(3回シリーズ)
 演題:「メタボ予防術講座」
対象:伊勢崎市民場所:伊勢崎市あずま公民館
*群馬県教育委員会主催 大学出前講座
毎年恒例企画で、医学部教授とご一緒です。
主催:群馬県教育委員会 
◆9月27日演題:「いつもの24時間を見直そう!」
対象:中央区中小企業経営者
場所:築地本願寺主催:中央区倫理法人会
 ◆10月29日演題:「生活習慣を見直して健康に」
対象:中高年者(ふろむな倶楽部会員) 
主催:リラックスコミュニケーションズ 
◆10月30日演題「医師と患者のコミュニケーション」
対象:医療関係者、医学生
場所:みのりCafe 
*患者の声は医療に活きる~公開講座

2011年8月17日】
◆未曾有の大震災から5ヵ月を過ぎた今も… 
未解決のことが山積していて、復興どころか復旧もままならない被災地のことを思うと焦燥感が募ります。弊社ではこの数ヶ月、PR誌や企業の社内報制作の「震災特集」のために、震災関連の取材や編集を多く手がけてきました。在宅酸素ボンベのU会社など、地味だけれど確実に社会に役立つ仕事をしている企業の取材はいつも学ぶところが多いのです。お盆休みで少し時間ができたので、思い出しながら書いて見ました。その中からいくつかご紹介します。
 
◆3.11「もうひとつの震災物語」
在宅医療の会社の話①
 「酸素がもうない。酸素ボンベを早く!」と、SOSがあった患者さんの家のすぐ近くまで辿り着いたのに、あちこちにはご遺体があり、目の前には大きな船が乗り上げふさいでいて、さらに道には亀裂が…。
自分たちを待っている人がいるのに、どうしても向こうへ行けない。大きな酸素ボンベを抱えて、瓦礫の山の前で呆然と立ち尽くす社員。「行きたいです、どんなことをしてでも」と懇願する若い社員の説得も大変だったとのことでした。最終的には、医師の指示に従ったそうです。患者様を救えなかった。社員にもつらい思いをさせてしまった。自分が行くべきだった・・でも、指揮者は拠点を離れられない」苦悩の表情を見せながら語る支店長の話に胸が詰まりました。

在宅医療の会社の話②
 患者さんの元へ、病院へ一刻も早く届けたいのに、ガソリンが補給できない。何箇所ものガソリンスタンドを廻り、お年寄り夫婦が経営する小さなスタンドで…。
ようやく協力してもらえたもののそれを知った、給油を待っていた人たちが騒ぎ、あわや暴動になるところでした。また、病院からの緊急依頼で、自分の飲料や食料のことまで頭が廻らず、酸素ボンベを積めるだけ積んで、被災地へ向かった若い社員。被災地近くはどこの店も開いておらず、自動販売機も止まったまま。結局、丸一日、飲み物も食べ物もない状態で、働き続け…。2日目、何時間も並んで、ようやく少しだけ飲料、食料を手にし、車の中で2日間、寝泊りをしながら現地支援をしていた若い社員の、「自分の準備が足りなかった。反省しています」と言うそのすがすがしさにジンときました。

茨城の老人病院で
 当日、院内の被害はたった一つだけ。でもその被害は甚大でした。地震の影響で、院内のスプリンクラーが作動。(1階はロビーホール)3階から2階へそして1階へ…。凄まじい勢いで水が流れ落ち院内を揺り動かすような、まるで滝つぼの下にいるような轟音で… 

地震の時は、痴呆のため状況が把握できず、揺れを楽しむかのように走り出す人もいたそうですが、さすがにあふれ出る水の量と勢い、轟音に、部屋の中、ロビー、リハビリ室…様々なところにいた100名近いお年寄りたちは怯え、震え上がっていました。
 
部屋の中は大丈夫でしたが、余震が続き、もちろん、電気はストップ。ほとんどが歩けないので車椅子に乗せ、4人がかりで階段を何往復もした職員。とりあえず50台の車に分散して乗せて待機。その間に職員は隣接している建物にマットレスを運び、廊下中に敷き詰め、次第に薄暗くなっていく中、患者さんを運び入れて・・・本当に大変だったようです。ちょうど、介護の実習に来ていた男子学生3名の働きでとても助かったそうです。
 
真っ暗になった夜、車のライトを当てて、玄関まで敷き詰めたマットの上で寝ているお年寄りの世話をし、夜中は真っ暗な中、足を踏まないよう(踏んだようですが!)歩き、 息をしているか!(ショックでおかしくなっている人もいるので)数少ない懐中電灯で照らすと目が覚めて怒り出す患者さん、怯えて泣き出す患者さん…おなかがすいた、もっと食べたいと騒ぐ患者さん…保存庫の食料(ヤクルトやお饅頭)は患者さんに渡し、自分たちは何も食べずに頑張っていた職員さんたちは、「すべての職員がそれぞれの立場で判断し、行動できて 良かった。前日、ちょうど消防訓練があったのも役に立ちました」と話してくれました。
 
その後の話です。じょくそうができやすい患者さんの寝る位置を、こまめに変えられなくて悪化。リハビリを3日できなかったことで、病状が後戻りの患者さんが激増。ショックで認知症が進んだ患者さん。病院のスタッフが一丸となってもとの状態に戻るよう、患者さんと一緒に頑張っているそうです。きっと、さまざまなところでドラマがあるのでしょうね。

2011年3月23日】

災害援助ボランティア隊出動!

22日のコラムに書いた患者講師仲間のOさんは、中枢性尿崩症(ちゅうすうせいにょうほうしょう)という3万人に一人の難病を抱えています。この病気の場合、水分が多量の尿となって排出されるので、常に水分を補給(1日に10Lもの水)する必要があります。薬も水も手元にない場合、1日~2日で亡くなってしまうという大変な病気です。

地震後、患者会のOさんから発信された「被災地にいる仲間のもとへ薬を!」という悲痛な叫びに、同じ患講師仲間のK教授と名古屋のO先生(内分泌・代謝内科)の尽力で、早稲田大学YMCA災害援助ボランティア隊が即、結成されました。自己管理ができるボランティアのプロ集団なので安心でしたが、名古屋から届いた薬を被災地に届けるのは至難の道で、行く手を吹雪に遮られながらの旅だったそうです。

私たち仲間は、被災地の患者さんへこの薬情報が届くよう、それぞれの場へこの情報を発信しました。(私も及ばずながら所属団体にメッセージを送りました)

道路の陥落、吹雪、原発…さまざま苦難の末、多くの人々の好意で薬は無事、病院へ届けられました。本当に感謝です。このようなドラマが各地で起こっていたのですね。

中枢性尿崩症(CDI)の会 http://www.cdinet.jp/

 

◆日本語がわからない!

地震当日、Oさんと私を助けてくださったTさんの情報も多くの人に役立ちました。まだ国が被災地の外国の方に、地震情報を流していないうちから、ご自分が管理運営をしている多文化共生交流サイト www.multiculture.jp の存在を発信。(私たちも即、MLで流しました)

英語だけでなく、多言語…ポルトガル語、中国語、韓国語、スペイン語、インドネシア語、タガログ語、タイ語、優しい日本語で災害情報を逐次、提供しているので、たくさんの外国の方が周りと情報共有ができました。

2011年3月22日】

◆大地震の時、私は群馬で…

日本は大変なことになってしまいました。皆様はご無事だったでしょうか。

被災地の皆様や、援助活動をなさっている皆様のことを想うと、心が痛みます。

3月11日、私は仕事の打合せで群馬大学医学部附属病院(前橋)へ行っていました。午後2時頃、患者講師仲間の中枢性尿崩症の方(Oさん)が体調不全のため、S教授と相談して私が本庄まで送っていくことになりました。ところが運良く、偶然居合わせた教授の知人であるTさんが高崎駅まで送ってくれることに…。

あと少しで高崎駅。ところが午後2時46分、急激な揺れが襲ってきたのです。駅近くの信号で止まっていたTさんの車の揺れ以上に波打つ目の前の信号機。信号の電気が消えてしまい…私たちはひたすら揺れが収まるのを待っていました。

ようやく少し落ち着いたので、社員のYさんや家族に連絡をしたものの、まったく携帯電話は通じず・・・。Tさんも事務所に一人でいる奥様と連絡が取れません。と言って交差点に留まっている訳にもいかず…。

 

◆私はパン泥棒?! じゃありません。

とりあえず高崎駅まで行き、ぐったりしているOさんを車内に残して、様子を見るために2階の改札口へダッシュ!

ところが、改札口に向かう私の前に外へ出ようとする人々が立ちはだかります。乗車状況の確認どころではありません。「駅から避難してください」 「駅ビルから出てください」というアナウンスで、大勢の人が階段を下りて行くところだったのです。私はとっさに目の前のパン屋さんへ飛び込みました。何か食べ物を確保しておいた方がよい。そう思って夢中で数種類のパンをトレイに載せていると、通りかかった親切な人が、「もう誰もいませんよ」と声をかけてくれたのです。

「え?」と、店内を見回すとシーン。店員さんもお客さんも誰もいません。

そうなんです。みんなもう逃げてしまったのです。

私はと言えば…そのままトレイを置いて逃げればよいものを、ひとつずつ、それぞれの場所にパンを返してから逃げたのですから、自分でも笑っちゃいます!

 

Tさんご夫婦に感謝!

神様のようなTさんが(先月、心筋梗塞で天国? に逝きかけた…まだ休養を要する身なのにとんだことに巻き込んでしまいました。感謝!)、「とりあえず前橋まで戻って、事務所で様子をみましょう」と言ってくださり、一路新前橋へ。途中、奥様の無事が確認でき、「手土産、手土産」とケーキを買って事務所へ。

しばらくして社員のYさんからの電話をキャッチ。AU同士だからか。本が落ちる社内から飛び出し、新橋演舞場の前へ。中から出てきた観客や、近辺の人と一緒にいるとのことで、驚きつつもひとまず安心。

東京もすごいことになっていると知って、家族と連絡が取れないことの不安が倍増。Tさんご夫婦の気遣いが嬉しい。そんな中、主人から「全員無事」のメールが届く。86歳の姑も82歳の母もメールが使えて本当によかった。

ようやく体調が回復したOさん、今度は連絡の取れない家族の心配で電話の前に佇んでいる。私も息子さんの無事を祈る気持ちだった。

5時30分、テレビ画面を見てこれは帰れない! と判断して、近くのホテルを予約。ちょっと連絡が遅かったら満室でした。

Oさんも連絡がつきホッ。またTさんのご好意で、ホテルまで送っていただく。本当に本当にありがとうございました。

 

◆ワインを飲んでいる私と、昇っている主人。

送っていただいたおしゃれなホテルには、私のような一人客が多くいました。

もうこうなったら優雅にと、ワインを飲んでいた私の元に、主人から「やっと今、21階」と言うメールが~。そうなんです。我が家は晴海のタワーマンション41階なのです。結果的には、さすが耐震対策万全の高層マンション。何一つ落下していない、いつもと変わらない室内だったそうです。当事、室内にいた息子によると、まるで大きな船がゆっくり揺れる感じでそれはそれでなんだか気持ち悪かったそうです。

新前橋のホテルで過ごした夜はずっと余震が続き、小舟に乗っているようで寝られませんでした。明け方には強い地震があり、さすがにちょっと心細くなりました。

翌日の朝、東京へ向かいましたが、9時間もかかってしまいヘトヘト。でも何だか主人に申し訳なくて、「外食に」とは言えず、夕食を作ってさらに疲れました。でも、全員無事で本当にありがたかったです。

 

◆涙ながらに捨てる原乳…

私が小学校4年~6年生まで過ごした東松島矢本のことも気になりますが…主人の故郷である福島が原発問題で苦境に陥っています。幸い親戚は皆無事でしたが、中通りに住む親戚はガソリンもなく原発の成り行きも心配で、自宅退避の状態です。また、酪農をしている一家は、乳牛の乳を搾っては捨てる毎日です。流通が復旧すればと思っていたのに、出荷停止とは…。あまりのことに言葉もありません。どうか一日も早く、平穏な日々に戻れますように。

2011年1月24日】
今年に入ってから、とくに「メタボすごろく」のオファーが多くなりました。先程も、大手健保から新規のご注文。また、初回面談(積極的支援 動機づけ支援)に「メタボすごろく」を採用して下さっている国保から「次年度も」とご注文をいただきました。とても嬉しいです!
 
…その反面、ちょっと気になることも。それはもっと積極的に指導を受ける人が増えて欲しいと言うことです。なぜならば、健康の主役は自分自身。病気になる前に危険信号(高いメタボ度)をキャッチして、病気にならない体を作るのに、「特定保健指導」はとてもありがたいシステムだからです。
 
今日のランチ打合せでは、特定保健指導で多忙な管理栄養士さんと情報交換をしましたが、「指導が終了した3年後以降からがとても心配」という意見で一致しました。少しでも発信の機会を得て皆様に、「健康管理は自分自身の責任」というメッセージを伝えたいと思います。

2011年1月6日】
皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたか?
私は主人や姑、母たち大人と箱根~勝浦でのんびり温泉三昧でした。子ども二人も成人し、子育てからほぼ開放され、つくづく「ラクになったなぁ~」ということで…今年はさらに仕事に邁進します!
    ↓
通称メタボ健診こと、特定健診・特定保健指導がいよいよ後半期に入りました。昨日、某健保と国保の2箇所から指導教材「メタボすごろく」の注文が入りました。ご相談の打合せも来週2件入っています。(幸先の良い仕事始めでした!)
これまで使っていた教材では効果が出ない、対象者が毎年同じ教材では飽きてしまう(大半が常連さんですものね)、なかなか指導を受けてくれないから相談したい…こんな案件が多く寄せられています。
特定保健指導のアウトソーシングを担当している大手フィットネスクラブからも、昨年、「メタボすごろく」のオリジナル版制作をご依頼いただきました。年末に伺って、「メタボすごろく」の指導効果についてお聞きしたところ、動機づけ支援、積極的支援の皆様にだけでなく、指導者の方にも好評とのことで、本当に嬉しく思いました。


【2010年10月26日】
昨日、恵比寿ガーデンプレイス内のサッポロビール本社で、講演会をしました。月末の月曜日の夕方でしたが、たくさんの方に出席していただき嬉しかったです。
サッポロビール健康保険組合の事務長様が、冊子「なごやか」(アドクラフト刊)に連載している私の健康コラムを読んでくださったのがきっかけでした。4月にクモ膜下出血で亡くなった木村コーチの話に絡めて、自分もまわりも『異変のサインを見逃さない』ようにと書いたのですが、今回改めて講演会でお話できて感謝しています。
講演後、ガーデンプレイスのお店で、大好きなヱビスビールと美味しい和食をご馳走になりました。
飲めそうであまり飲めない私なのに、この日はとても[飲める気分?]で、結構飲んでしまいました。さらに…帰宅途中、ヱビスビールのグリーンを5缶買って、主人と我が家でまたまた飲んでしまいました。
旨かった!

2010年10月12日】
10月5日~6日、伊香保温泉にある群馬大学の研修所(旧御用邸)で、医学生のための教科書制作の打合せをしました。5年前から始めている患者講師による授業(酒巻教授)のまとめとして、来春出版予定です。
11月中旬の締切に合わせて、皆様は担当部分の原稿を書いていらっしゃるようですが…私は11月に入ってから頑張ります!ごめんなさい。でも、授業開始5年の節目に『発信』の機会を与えられて幸せな気分です。

2010年10月7日】
福利厚生企業の健康関連の仕事が始まりました。まずは会報誌の健康特集(6ページ)の企画・編集。ということでしたが、VIP会員用に2011年の健康カレンダーを作ることになりました。林田プロジェクトの企画・制作、私の監修です。10月末納品なので時間は少ないですが、毎日眺めるものなので素敵なカレンダーにしたいと思います。
他でも販売予定なので、もしご希望の方はご連絡くださいませ。

2010年9月30日】
9月24日に、三菱電機プラントエンジニアリング主催の『衛生講演会』の講師をしましたが、その際、先方からリクエストされたことは…婚活の話を入れて欲しいということ。当日は協力会社30社の幹部の方もご出席くださいましたが、皆様の願い(?)のひとつは、社員の皆さんに健康保持のためにも結婚をして欲しいということだそうです。
で今回は、弊社主宰の『働く若者の相談室』の例をとって、「本当はみんな、結婚したいと思っているのですよ!」「企業が婚活応援をしてくれるのが一番ですね」という話を加えました。
講演後、スカイツリー(ぐんぐん成長していますね!)のすぐ近くで、和風フランス料理とワインをいただきました。美味しかったです&ご馳走様でした。

2010年8月23日】
◆中高年の健康管理、社員の婚活支援(?!)
一昨年はメタボ改善、昨年は子供と家族の生活習慣改善の教材制作や本の出版をしました。
今年は生活習慣全般を手がけていますが、数ヶ月前から立て続けに各企業から依頼されていることがあります。それは、退職間近な社員の退職後の健康管理問題。それまでは健康保険組合から「健康診断を受けなさい」と何度も言われていたのに、退職した途端、「あとはどうぞ、ご自由に~」となることに不安を感じている人も多いとか。“自分の健康は自分で守る”という意識を高める実践プログラムを制作しています。
 
ところで、婚活支援の件ですが…
若い社員が多い企業の悩みのひとつは、皆なかなか結婚しないことだそうです。先日も、講演会を依頼されて打ち合せに行ったところ、テーマである「元気な社員が元気な会社を作る」に、ちょっと問題が…と言われたのです。
聞くと、実はあまり元気ではない未婚の社員が若干名いまして~とのこと。結婚して子供が生まれたら、もっと健康に気をつけて働いてくれる、そうすればもっと会社が元気になるという、婚活支援のお願いだったのです。
 
『働く若者の相談室』で結婚の悩みを受け止めてきた経験を活かして、企業間の婚活支援の提案を実践に移す時期に来たようです。

◆遠隔診療ってご存知ですか?
都心にはたくさん病院があり、医療従事者も多く勤務しています。でも、僻地に住む人々は、簡単に受診することが出来ません。娘が住む伊豆大島も、大きな手術は都内でするしかありません。また、自宅で暮らす寝たきりの病人の場合は、例え都心にいても大病院の診療は簡単には受けられません。でも、テレビ電話による診療システムがあれば解決することも多くあるのです。最近、一刻も早く、普及するよう頑張っている人たちがいることを知りました。今、弊社は遠隔医療普及のためのプロジェクトの仕事を手がけています。


2010年8月20日】
◆娘が崖から転落しましたぁ~!!
7月中旬、伊豆大島で仕事をしている娘が、崖から足を滑らせて5m下の岩場に転落しました。 伊豆大島から都内の病院までヘリコプターで搬送されてきた娘は、意識はあるものの大怪我を負っていました。

腰椎破裂骨折(脊髄と尾?骨の間)と、両足のかかとを複雑骨折。2度の手術を受けましたが、なんと今は車椅子に乗れるようになりました。ホッ!(若いってすごい!)仰向けに落ちていったのに、なぜか途中でくるりと回転。その訳は…。
 
実は、首にかけていた借り物のカメラをとっさに守ろうとして、頭を下げて両手でカメラを抱えたことが結果的に『受身』の姿勢を取ることになり、ダメージが少なかったのです。
両足のかかとで着地して、弾みで背中を打ったのですが、幸い脊髄から僅かに外れたところだったので、助かったのです。頭も顔も上半身も無事で…本当にありがたいことでした。
おまけにカメラも無事でした。志賀さん、貴重なカメラを娘に預けてくれてありがとうございました。おかげさまで…。
 
今回、医療現場に接して思ったことは、医療の世界は日進月歩だということです。ひと昔前だったら、こんな重病人に手術翌日からリハビリをさせたりしませんでした。でもそのおかげで見る見る回復しているのですから、医療とはすごいものですね。

区切り線

★このコラムを読んでくださっている保健指導者の方、もし必要があれば林田にご連絡ください。少しでもお役に立てることがあれば、ご協力いたします。