2011年1~6月

2011年3月23日】

災害援助ボランティア隊出動!

22 日のコラムに書いた患者講師仲間のOさんは、中枢性尿崩症(ちゅうすうせいにょうほうしょう)という3万人に一人の難病を抱えています。この病気の場合、 水分が多量の尿となって排出されるので、常に水分を補給(1日に10Lもの水)する必要があります。薬も水も手元にない場合、1日~2日で亡くなってしま うという大変な病気です。

地震後、患者会のOさんから発信された「被災地にいる仲間のもとへ薬を!」という悲痛な叫びに、同じ患講師仲間のK教授と名古屋のO先生(内分泌・代謝内科)の尽力で、早稲田大学YMCA災害援助ボランティア隊が即、結成されました。自己管理ができるボランティアのプロ集団なので安心でしたが、名古屋から届いた薬を被災地に届けるのは至難の道で、行く手を吹雪に遮られながらの旅だったそうです。

私たち仲間は、被災地の患者さんへこの薬情報が届くよう、それぞれの場へこの情報を発信しました。(私も及ばずながら所属団体にメッセージを送りました)

道路の陥落、吹雪、原発…さまざま苦難の末、多くの人々の好意で薬は無事、病院へ届けられました。本当に感謝です。このようなドラマが各地で起こっていたのですね。

中枢性尿崩症(CDI)の会 http://www.cdinet.jp/

 

◆日本語がわからない!

地震当日、Oさんと私を助けてくださったTさんの情報も多くの人に役立ちました。まだ国が被災地の外国の方に、地震情報を流していないうちから、ご自分が管理運営をしている多文化共生交流サイト www.multiculture.jp の存在を発信。(私たちも即、MLで流しました)

英語だけでなく、多言語…ポルトガル語、中国語、韓国語、スペイン語、インドネシア語、タガログ語、タイ語、優しい日本語で災害情報を逐次、提供しているので、たくさんの外国の方が周りと情報共有ができました。

2011年3月22日】

◆大地震の時、私は群馬で…

日本は大変なことになってしまいました。皆様はご無事だったでしょうか。

被災地の皆様や、援助活動をなさっている皆様のことを想うと、心が痛みます。

3 月11日、私は仕事の打合せで群馬大学医学部附属病院(前橋)へ行っていました。午後2時頃、患者講師仲間の中枢性尿崩症の方(Oさん)が体調不全のた め、S教授と相談して私が本庄まで送っていくことになりました。ところが運良く、偶然居合わせた教授の知人であるTさんが高崎駅まで送ってくれること に…。

あと少しで高崎駅。ところが午後2時46分、急激な揺れが襲ってきたのです。駅近くの信号で止まっていたTさんの車の揺れ以上に波打つ目の前の信号機。信号の電気が消えてしまい…私たちはひたすら揺れが収まるのを待っていました。

ようやく少し落ち着いたので、社員のYさんや家族に連絡をしたものの、まったく携帯電話は通じず・・・。Tさんも事務所に一人でいる奥様と連絡が取れません。と言って交差点に留まっている訳にもいかず…。

 

◆私はパン泥棒?! じゃありません。

とりあえず高崎駅まで行き、ぐったりしているOさんを車内に残して、様子を見るために2階の改札口へダッシュ!

と ころが、改札口に向かう私の前に外へ出ようとする人々が立ちはだかります。乗車状況の確認どころではありません。「駅から避難してください」 「駅ビルか ら出てください」というアナウンスで、大勢の人が階段を下りて行くところだったのです。私はとっさに目の前のパン屋さんへ飛び込みました。何か食べ物を確 保しておいた方がよい。そう思って夢中で数種類のパンをトレイに載せていると、通りかかった親切な人が、「もう誰もいませんよ」と声をかけてくれたので す。

「え?」と、店内を見回すとシーン。店員さんもお客さんも誰もいません。

そうなんです。みんなもう逃げてしまったのです。

私はと言えば…そのままトレイを置いて逃げればよいものを、ひとつずつ、それぞれの場所にパンを返してから逃げたのですから、自分でも笑っちゃいます!

 

Tさんご夫婦に感謝!

神様のようなT さんが(先月、心筋梗塞で天国? に逝きかけた…まだ休養を要する身なのにとんだことに巻き込んでしまいました。感謝!)、「とりあえず前橋まで戻って、 事務所で様子をみましょう」と言ってくださり、一路新前橋へ。途中、奥様の無事が確認でき、「手土産、手土産」とケーキを買って事務所へ。

しばらくして社員のYさんからの電話をキャッチ。AU同士だからか。本が落ちる社内から飛び出し、新橋演舞場の前へ。中から出てきた観客や、近辺の人と一緒にいるとのことで、驚きつつもひとまず安心。

東京もすごいことになっていると知って、家族と連絡が取れないことの不安が倍増。Tさんご夫婦の気遣いが嬉しい。そんな中、主人から「全員無事」のメールが届く。86歳の姑も82歳の母もメールが使えて本当によかった。

ようやく体調が回復したOさん、今度は連絡の取れない家族の心配で電話の前に佇んでいる。私も息子さんの無事を祈る気持ちだった。

5時30分、テレビ画面を見てこれは帰れない! と判断して、近くのホテルを予約。ちょっと連絡が遅かったら満室でした。

Oさんも連絡がつきホッ。またTさんのご好意で、ホテルまで送っていただく。本当に本当にありがとうございました。

 

◆ワインを飲んでいる私と、昇っている主人。

送っていただいたおしゃれなホテルには、私のような一人客が多くいました。

もうこうなったら優雅にと、ワインを飲んでいた私の元に、主人から「やっと今、21 階」と言うメールが~。そうなんです。我が家は晴海のタワーマンション41階なのです。結果的には、さすが耐震対策万全の高層マンション。何一つ落下して いない、いつもと変わらない室内だったそうです。当事、室内にいた息子によると、まるで大きな船がゆっくり揺れる感じでそれはそれでなんだか気持ち悪かっ たそうです。

新前橋のホテルで過ごした夜はずっと余震が続き、小舟に乗っているようで寝られませんでした。明け方には強い地震があり、さすがにちょっと心細くなりました。

翌日の朝、東京へ向かいましたが、9時間もかかってしまいヘトヘト。でも何だか主人に申し訳なくて、「外食に」とは言えず、夕食を作ってさらに疲れました。でも、全員無事で本当にありがたかったです。

 

◆涙ながらに捨てる原乳…

私が小学校4 年~6年生まで過ごした東松島矢本のことも気になりますが…主人の故郷である福島が原発問題で苦境に陥っています。幸い親戚は皆無事でしたが、中通りに住 む親戚はガソリンもなく原発の成り行きも心配で、自宅退避の状態です。また、酪農をしている一家は、乳牛の乳を搾っては捨てる毎日です。流通が復旧すれば と思っていたのに、出荷停止とは…。あまりのことに言葉もありません。どうか一日も早く、平穏な日々に戻れますように。

2011年1月24日】
今年に入ってから、とくに「メタボすごろく」のオファーが多くなりました。先程も、大手健保から新規のご注文。また、初回面談(積極的支援 動機づけ支援)に「メタボすごろく」を採用して下さっている国保から「次年度も」とご注文をいただきました。とても嬉しいです!
 
…その反面、ちょっと気になることも。それはもっと積極的に指導を受ける人が増えて欲しいと言うことです。なぜならば、健康の主役は自分自身。 病気になる前に危険信号(高いメタボ度)をキャッチして、病気にならない体を作るのに、「特定保健指導」はとてもありがたいシステムだからです。
 
今日のランチ打合せでは、特定保健指導で多忙な管理栄養士さんと情報交換をしましたが、「指導が終了した3年後以降からがとても心配」という意見で一致しました。少しでも発信の機会を得て皆様に、「健康管理は自分自身の責任」というメッセージを伝えたいと思います。

2011年1月6日】
皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたか?
私は主人や姑、母たち大人と箱根~勝浦でのんびり温泉三昧でした。子ども二人も成人し、子育てからほぼ開放され、つくづく「ラクになったなぁ~」ということで…今年はさらに仕事に邁進します!
    ↓
通称メタボ健診こと、特定健診・特定保健指導がいよいよ後半期に入りました。昨日、某健保と国保の2箇所から指導教材「メタボすごろく」の注文が入りました。ご相談の打合せも来週2件入っています。(幸先の良い仕事始めでした!)
これまで使っていた教材では効果が出ない、対象者が毎年同じ教材では飽きてしまう(大半が常連さんですものね)、なかなか指導を受けてくれないから相談したい…こんな案件が多く寄せられています。
特定保健指導のアウトソーシングを担当している大手フィットネスクラブからも、昨年、「メタボすごろく」のオリジナル版制作をご依頼いただきました。年末 に伺って、「メタボすごろく」の指導効果についてお聞きしたところ、動機づけ支援、積極的支援の皆様にだけでなく、指導者の方にも好評とのことで、本当に 嬉しく思いました。