2011年7月~12月

2011年11月25日】
11月12日、13日の2日間にわたり開催された【第20回全国ボランティアフェスティバルTOKYO】分科会の報告です。 
11月13日(日)9時30分~12時30分、青山学院大学で行なわれた分科会「患者が先生」みんなで作るこれからの医療とは?~市民参加で生まれる新たな視点~は、私たち群馬大学医学部患者講師の仲間が酒巻教授と手がけた市民参加型のセミナーです。おかげさまでたくさんの方にご参加頂き、有意義なひとときを過ごしました。
患者講師の一人だった故・野村美恵子さんの妹・須藤美智子さんの働きかけで実現したこのセミナーを、野村さんも天国から温かく見守ってくださっていたと思います。
当日は、毎年行なっている医学部5年生への授業『患者の声を聞く』の意義を、授業ビデオや各講師の講話、酒巻教授の解説などで、市民の皆様(主にボラン ティア体験者)に伝え、それをもとに、各グループでディスカッションし、最後に発表をしました。患者と医療者が手を取り合って、コミュニケーションするこ との重要性…相互扶助の前向きな話が展開し、充実した内容になったと思います。
 
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ところで、私は皆さんの熱気に当てられたのか、はたまた知恵熱か…分科会が終わった途端ダウンしてしまい、3日間も会社を休んでしまいました。
日曜日の夜、なんだか調子が悪いなあと思いつつ、お風呂上りに桐野夏生の「残虐記」を夢中になって読んだのがダメ押しとなったようで、夜中、桐野夏生にうなされる(?)は、熱は38度5分出るはで久しぶりに寝付かれない夜でした。朝になってもだるくて起き上がれず…(でもきっと、大切な用事があれば飛び起 きていたはず!)だらだらと家で仕事をしていました。原因は単なる風邪でした。熱が出たのは一日だけでしたが、乾いた咳が止まらなくて、肺が少し痛かった です。今日も、ある会合の企業発表を聞きに行く予定でしたが、もし咳き込んだら迷惑だと思い、欠席しました!(残念) 
でも、今書きながら気がつきましたが、この3時間は咳が出ていません! やったぁ~!治ったみたいです。昔と違って、治るのにも時間がかかる…年を取ったということですね。皆様もお気をつけて!
 
2011年9月20日】
震災以降、心の健康の一歩手前、プレウツの人が増えてきました。心の健康の前に、気持ちの健康を考えなくてはいけない時代なのですね。セミナー の教材も、「気持ちの健康」チェックを増やしました。実は私も、震災後しばらくの間は、プレウツ状態でした。それまでは自慢だった41階の我が家からの景 色…目の前に広がる高層ビル群、東京スカイツリーを眺めると、あの瓦礫の山が重なってしまうのでした。まさに、震災疑似体験。テレビで何度も瓦礫の街並を 見ることで、知らないうちに疑似体験をしていたのです。
 
9月、10月の主なセミナー、講演です。
◆9月3日 (実施済み) 
演題:「くも膜下出血とウツ~体験者が伝える大事なこと~」
対象:足立区中小企業経営者
場所:東京マリアージュ 
主催:足立区倫理法人会
◆9月20日、10月4日、10月25日(3回シリーズ)
演題:「メタボ予防術講座」
対象:伊勢崎市民場所:伊勢崎市あずま公民館
*群馬県教育委員会主催 大学出前講座
毎年恒例企画で、医学部教授とご一緒です。
主催:群馬県教育委員会 
◆9月27日演題:「いつもの24時間を見直そう!」
対象:中央区中小企業経営者
場所:築地本願寺主催:中央区倫理法人会
◆10月29日演題:「生活習慣を見直して健康に」
対象:中高年者(ふろむな倶楽部会員) 
主催:リラックスコミュニケーションズ 
◆10月30日演題「医師と患者のコミュニケーション」
対象:医療関係者、医学生
場所:みのりCafe 
*患者の声は医療に活きる~公開講座

2011年8月17日】
◆未曾有の大震災から5ヵ月を過ぎた今も… 
未解決のことが山積していて、復興どころか復旧もままならない被災地のことを思うと焦燥感が募ります。弊社ではこの数ヶ月、PR誌や企業の社内報制作の 「震災特集」のために、震災関連の取材や編集を多く手がけてきました。在宅酸素ボンベのU会社など、地味だけれど確実に社会に役立つ仕事をしている企業の 取材はいつも学ぶところが多いのです。お盆休みで少し時間ができたので、思い出しながら書いて見ました。その中からいくつかご紹介します。
 
◆3.11「もうひとつの震災物語」
在宅医療の会社の話①
「酸素がもうない。酸素ボンベを早く!」と、SOSがあった患者さんの家のすぐ近くまで辿り着いたのに、あちこちにはご遺体があり、目の前には大きな船が乗り上げふさいでいて、さらに道には亀裂が…。
自分たちを待っている人がいるのに、どうしても向こうへ行けない。大きな酸素ボンベを抱えて、瓦礫の山の前で呆然と立ち尽くす社員。「行きたいです、どん なことをしてでも」と懇願する若い社員の説得も大変だったとのことでした。最終的には、医師の指示に従ったそうです。患者様を救えなかった。社員にもつら い思いをさせてしまった。自分が行くべきだった・・でも、指揮者は拠点を離れられない」苦悩の表情を見せながら語る支店長の話に胸が詰まりました。

在宅医療の会社の話②
患者さんの元へ、病院へ一刻も早く届けたいのに、ガソリンが補給できない。何箇所ものガソリンスタンドを廻り、お年寄り夫婦が経営する小さなスタンドで…。
ようやく協力してもらえたもののそれを知った、給油を待っていた人たちが騒ぎ、あわや暴動になるところでした。また、病院からの緊急依頼で、自分の飲料や 食料のことまで頭が廻らず、酸素ボンベを積めるだけ積んで、被災地へ向かった若い社員。被災地近くはどこの店も開いておらず、自動販売機も止まったまま。 結局、丸一日、飲み物も食べ物もない状態で、働き続け…。2日目、何時間も並んで、ようやく少しだけ飲料、食料を手にし、車の中で2日間、寝泊りをしなが ら現地支援をしていた若い社員の、「自分の準備が足りなかった。反省しています」と言うそのすがすがしさにジンときました。

茨城の老人病院で
当日、院内の被害はたった一つだけ。でもその被害は甚大でした。地震の影響で、院内のスプリンクラーが作動。(1階はロビーホール)3階から2階へそして1階へ…。凄まじい勢いで水が流れ落ち院内を揺り動かすような、まるで滝つぼの下にいるような轟音で… 

地震の時は、痴呆のため状況が把握できず、揺れを楽しむかのように走り出す人もいたそうですが、さすがにあふれ出る水の量と勢い、轟音に、部屋の中、ロビー、リハビリ室…様々なところにいた100名近いお年寄りたちは怯え、震え上がっていました。
 
部屋の中は大丈夫でしたが、余震が続き、もちろん、電気はストップ。ほとんどが歩けないので車椅子に乗せ、4人がかりで階段を何往復もした職 員。とりあえず50台の車に分散して乗せて待機。その間に職員は隣接している建物にマットレスを運び、廊下中に敷き詰め、次第に薄暗くなっていく中、患者 さんを運び入れて・・・本当に大変だったようです。ちょうど、介護の実習に来ていた男子学生3名の働きでとても助かったそうです。
 
真っ暗になった夜、車のライトを当てて、玄関まで敷き詰めたマットの上で寝ているお年寄りの世話をし、夜中は真っ暗な中、足を踏まないよう(踏 んだようですが!)歩き、 息をしているか!(ショックでおかしくなっている人もいるので)数少ない懐中電灯で照らすと目が覚めて怒り出す患者さん、怯えて泣き出す患者さん…おなか がすいた、もっと食べたいと騒ぐ患者さん…保存庫の食料(ヤクルトやお饅頭)は患者さんに渡し、自分たちは何も食べずに頑張っていた職員さんたちは、「す べての職員がそれぞれの立場で判断し、行動できて 良かった。前日、ちょうど消防訓練があったのも役に立ちました」と話してくれました。
 
その後の話です。じょくそうができやすい患者さんの寝る位置を、こまめに変えられなくて悪化。リハビリを3日できなかったことで、病状が後戻りの患者さん が激増。ショックで認知症が進んだ患者さん。病院のスタッフが一丸となってもとの状態に戻るよう、患者さんと一緒に頑張っているそうです。きっと、さまざ まなところでドラマがあるのでしょうね。